数理と物理の違い
物理は解釈と予言ができる
数学や物理の人とのインタラクションが少ない人には、数理モデルと物理モデルの違いがよくわからないようです。
まあ、数理モデルも物理モデルも、数学を使ってモデルを作る点は共通です。
物理モデルでは、物理法則を基礎として、アウトプットとなる知りたい物理量とインプットとなる他の物理量の関係を定式化します。
物理法則を基礎としていますし、意味のある物理量で定式化しているので、関係式が何が起きているかを教えてくれます。
ここではその性質を可解釈性と言っておきます。
また、インプットとなる物理量は別方法で測定できたり、コントロールしたりできることも多いので、インプットとなる量を変えたときのアウトプットの量を予言することができます。
ここではその能力を予言能と言っておきます。
温度を変えたときに何が起こるか、濃度を変えたとき何が起こるかということを予言できますよね。
一方、数理は、実験に数学を載せているだけなので、解釈をすることも、予言をすることも難しいことが多いです。
そのため、可解釈性と予言能がある点で物理モデルは、数理モデルとは異なります。
たぶん、物理の人はそのように思っていますし、私もそうでした。
物理はガリレイ教信者に過ぎない?
しかし、本当にそれで終わりでしょうか。
物理が何から始まったか思い出してみましょう。
初めは、ケプラーやガリレイが、惑星や物体の運動を、位置と時間の関数として定量的に測定し、数学を使ってまとめたことから始めました。
そう、この時点では、物理は数理と何ら変わりのないことをしているんですね。
物理というのは、ガリレイ流の数理から演繹された数理体系に過ぎないのでは?とも考えられます。
この考え方の上では、物理の可解釈性と予言能は、単純にその研究の歴史が長く、スケールが大きいことがそれを可能にしたのでは?ということですね。
要は、我々はガリレイ教信者ということでしょうか?
とはいえ、物理のスタンスでは、ガリレイの言った「自然は数学の言葉で書かれている」というのは信じることにしていすので、その意味ではガリレイ教信者であることは認めないといけないかもしれません。
今のサイエンスでは定量性が重要ですので、いろんな分野がガリレイ教になってますけどね。
もし、他の実験を数学で表す数理モデルを作ったとして、それを演繹していったとき、今の物理と一致するのでしょうか?
つまり、数学における自然の記述は1つしかないのでしょうか?
ニュートンが物理の概念を作った
ガリレイは物体の様々な運動に、ケプラーは惑星の運動を数学で整理しました。
物体の位置と時間の関係を関数として表すことで、物体の運動を理解する概念を打ち出したのも彼らだと思います。
もう少し先に進んでみましょう。
ガリレイやケプラーが作った数理を、ニュートンが三つの法則にまとめました。
ここで行ったのは簡単化・一般化ですね。
ニュートンの第一法則である慣性の法則は、止まっている物体は力が働かない限り止まり続ける、一定速度で運動している物体は力が働かない限り同じ速度で運動し続けることを主張する。
つまり、摩擦を無視ししています。
これが簡単化ですね。
この簡単化によって、第二法則、つまり、様々な運動がニュートン方程式という1つの微分方程式で表されます。
これが一般化です。
無駄を省いて簡単化し、少数の一般法則としてまとめるのが物理のスタンスです。
現象を数学で表すだけだったら、無限にやり方があるかもしれません。
しかし、最小の一般法則で最大の範囲の現象を表すという条件を付けくわえると、可能性は絞られてくるのではないでしょうか。
今の物理が唯一解なような気もするのですが、証明もないので何とも言えませんね。
物理の発展には長い歴史がありますので、1人の人間がそれを証明するのは難しそうです。
AIならできるのですかね。
そんなことをするのであれば、今の物理を発展させる方が生産的なので、物理やりましょとなりますしね。
