作った時点で正しいと分かる理論は価値があるか?
今年の面談で感じた違和感
私の研究所では、年に1回面談があります。
面談は1月ごろに行われますが、その前の年の12月頃にはあらかじめ、年次報告書を出します。
恐ろしいのは、面談の評価でその年の4月からの給料が決まるということです。
私は、研究所で行うよう言われているメカノケミストリーの理論と私の研究である遺伝子発現制御の物理学について話します。
今年の面談では、発表後の質疑応答で、メカノケミストリーの理論についての質問のみでした。
いつもは少し遺伝子発現制御の方の質問もしてくれるんですけどね。
私としては遺伝子発現制御の物理学も好きなので、そちらに関心を持ってくれると嬉しいです。
ソフトマター物理の本質が絡む、非平衡状態での化学反応の話なので、化学反応研究としては新しいと思っています。
ソフトマターが化学反応を制御するような系の研究も他にあまりないですしね。
この面談では10分の発表の後、質疑応答となります。
発表では、メカノケミストリーの理論が実験と比較できるレベルに育ってきたので、ここで一度検証実験を行うタイミングということを話しました。
質疑応答は、今年はなんか攻撃的で、まず、プレゼンテーションが悪いと言われました。
これでは、メカノケミストリーの実験をされている先生方が、この理論が何%くらい正しいか分からないから、検証実験をする気にならないだろうと。
毎年出しているスライドに対して、ダメ出しが入りました。
また、私はグラフを出すけれども説明をしないので、何のグラフか分からないということを言われました。
これが質疑応答で主に議論したポイントなんですけれど、私、すごい違和感があるんですよね。
たぶん、ポイントは2つあります。
1つはプレゼンテーション、もう1つは理論が作られた時点でそれが何%正しいかわかるかということです。
1つ目のポイントであるプレゼンテーションの話は愚痴っぽくなってしまうので、二つ目のポイントについてお話をします。
理論を作った時点で重要なこと
本題はこちらの方なのですが、面談で言われた「この理論が何%くらい正しいか分からない」というのは重要かすこし考えていきたいと思います。
もちろん、理論を作った時点で正しくないと分かっているものは価値がないことが多いと思います。
ごくまれに、想定していたのとは違う系の実験とよく合うことが分かり、復活することはありますが。
一方、理論を作った時点で正しいと分かっているものは価値があるでしょうか。
私も実験の研究室出身ですので、正しいということが分かるほど実験がない場合には理論を作ってもしょうがないと思っていた時代もあります。
しかし、今は、非常に特殊な状況を除いては、理論を作った時点で正しいと分かっているものは価値がないと思っています。
そもそも、どのような場合、理論を作った時点でなぜそれが正しいと分かるのでしょうか。
それは、①研究要素が少なく、ほぼ分かっていることである場合か、②その理論を作るために必要な実験が十分ある場合です。
①の場合、分かっていることなので、そもそもやってもしょうがないことです。
分かっている物理を適用して分かることは、分かっていることです。
現在の研究者人口過多の状況では、②の場合であっても、解かれているか、他の人が現在進行形で研究をしているとみるのが正しいでしょう。
他の人と同着になる研究をする人は、本当にサイエンスを進めているでしょうか。
また、仮に1着になったとしても、誰でもできることを世界で一番早く解くことに意味があるでしょうか。
いずれにせよ、オリジナリティは弱いと言わざるを得ません。
このように、ほぼ自明な問題は、トリビアルな問題と呼ばれます。
例外として、超電導の微視的理論であるBCS理論前夜では、それを記述する一般理論もあって十分な実験もあるはずなのに、超電導がなぜ起きるのかどうしても分からないという状況もありました(時代考証間違ってたら指摘してください)。
しかし、そのような状況は、それほど多くはないでしょう。
理論を作る時点ですでに行われた実験はもちろん考慮に入れる必要があると思います。
しかし、それ以上のことは、ちゃんと検証実験がなされるまでわからないので、気にしてもしょうがないと思います。
もっと重要なのは、
・問題やアイデアが新しいか
・他の人が考えられないアイデアか
・理論が正しい(あるいは正しくない)と実験で分かったとして、それがどれくらいサイエンスを進めるか
ということだと思います。
その理論の正当性を保証する実験がないということは、その実験を実施するための技術、または、考え方にハードルがあるということです。
考え方の方をサポートするのが理論なのだと思います。
