研究におけるオリジナリティを考える
はじめに
皆様、暑い日が続きますが、お体を崩してはいないでしょうか。
研究者にとって、夏と言えば科研費の申請書を書くシーズンです。
私の研究所には決まった夏休みというものがありません。
そう聞くとブラックな匂いがするかもしれませんが、代わりにリフレッシュ休暇を連続で3日間取ることができます。
6月から11月の間の期間でしたら、どこにも入れることができるので、夏休みを取ろうと思えば取れるというシステムです。
とはいえ、科研費の申請書を書くシーズンで、なおかつ、教員募集の応募書類を書くシーズンでもあるので、最近はそんなことばかりやってます。
本当は、研究を進めたいし、再投稿しなければならない論文にも時間を割きたいのですが。。。
とはいえ、メカノケミストリーの論文は1つ採択されそうなので、また解説記事を投稿したいと思います。
申請書を書いているのは、私だけでなく、研究所のまわりの人たちも同じです。
私の研究所は有機化学の研究所ですので、私の遺伝子発現研究とはだいぶ分野が異なります。
しかし、話をしていて、「知っていればできる」研究を提案する人が結構多いことに気付きました。
これは今の研究者過多時代、AI時代に良い戦略なのかなと思いましたので、研究のオリジナリティに関して、思うことを書いてみたいと思います。
これは、研究費の申請書を書くとき、自分の研究の独創性を書くときに役に立つかもしれません。
先に言っておきますが、これは私の個人的な見解と整理で、絶対的な指標ではありません。
体感ベースですが、海外である程度がっつり研究をしてきた人たちとそのような話になると、おおむね意見が一致することが多いということは申し添えておきます。
また、オリジナルであれば研究が評価されるかというと、それも別の話です。
今回はオリジナリティ特化の話をしたいと思います。
研究におけるオリジナリティーとは
自分で考え付いたアイデアならばオリジナルか?
まず、そもそもなんで研究にオリジナリティが必要なのでしょうか。
いや、研究じゃなくても、YouTubeでもブログでも、同じテーマの動画や記事がたくさんあるところに、同じようなものを1つ加えても意味ないじゃんと思われるかと思います。
基本的にはその認識で結構です。
ただ、ここで認識してほしいのは、オリジナリティとは、相手あってのことです。
つまり、他の研究者たちが何ができるか想定できなければ、自分の研究がオリジナルかどうか判定できないということです。
結構勘違いしやすいのですが、もしあなたが研究に対するアイデアを思い浮かんだとして、あなたが思い浮かんだからそのアイデアがオリジナルかというと、実はそうではありません。
なぜならば、アイデアによっては他の研究者が全く独立に(本質的には)同じことを思いつくことができるからです。
もちろん、自分でそのアイデアを発想するというのは必要ですが、十分ではないのです。
オリジナリティの高さとは、他の人が本質的に同じアイデアを想起するための障壁の高さのことです。
自分が思いついたアイデアと同じことを他の人が思い浮かぶことはないだろうという楽観論は、成り立たなくなってだいぶたつと思います。
知っていればできることにオリジナリティはあるか
典型例は、最初に述べた知っていればできることです。
現在の研究者過多時代では、自分以外にも同じことを知っている人がいる可能性が高いからです。
しかし、知っていればできることの中でも、教科書レベルなのか、よく知られた論文レベルなのか、知る人ぞ知る論文レベルなのか、世間では全く評価されてないけれども自分だけがその価値を知っている論文かというところで、参入障壁は変わります。
ここで出てくるのがAIです。
教科書レベルやよく知られた論文レベルでしたらAIがなくても参入障壁は低いと言えます。
ここにAIが入ってくると、知る人ぞ知る論文レベルの知識でも危なくなるかもしれません。
世間では全く評価されていないけれども自分だけがその価値を知っている論文でしたら、AIが入ってもまだ参入障壁が十分高いものもあるかもしれません。
ケルビン卿が、当時全く評価されていなかったカルノーの論文を掘り起こして、クラウジウスによるエントロピーの発見の契機を作ったのは有名な話です。
なんでカルノーの論文が当時評価されていなかったかというと、当時すでに否証されていたこと(熱素、フロギストン)を使っていたからです。
しかし、その事実さえ除いてしまえば、熱力学の本質がそこにあったわけです。
研究所で聞いた「知っていればできること」は、いずれも教科書レベルかよく知られている論文レベルでした。
ケルビン卿のように、評価されていない論文の中の弱点に目をつむり、その他の部分にある新しい本質を見つける目を持っていなければ、知っていればできる研究は、アイデアの中では一番低級で、もう価値がないのです。
または、知る人ぞ知る論文の目利きでAIに勝てればあるいはというところでしょう。
研究のオリジナリティを考えるようになったきっかけ
私は、誘電物性・絶縁体工学の立場で有機エレクトロニクスの研究をしている実験のラボ出身です。
指導教官の先生は、Maxwell-Wagner効果(界面分極ともいう)を使って有機トランジスタの動作特性を明らかにされた先生です。
彼は、電磁気学に研究の範囲を限定しているからこのラボの研究はオリジナルだという考えをもっていらっしゃいました。
学生の時には、オリジナリティについてあまり意識してなかったと思います。
博士を直後、マックスプランク研究所でポスドクをすることになりました。
そこでは、脂質膜ベシクルに電場を加えたときの挙動に関する実験が行われていて、Maxwell-Wagner効果で説明できることに気付き、理論を作りました。
作った時には、Maxwell-Wagner効果なんて知っているのは私くらいのものだろうと思っていました。
しかし、ほぼ同時期に、イオンチャネルかなんかの分野で使われている式を使って、本質的に同じ理論が作られました。
そこで、2つのことに気付きました。
まず1つ目は、研究を特定の分野の範囲に限定することは、オリジナリティの保証になっているどころか、失っているということです。
今思えば、そんなの当たり前なんですけどね。
しかし、同じ罠にはまっていて、学生指導で被害を拡大している人は結構いる感じなんですよね。
特に、学生からずっと同じ大学で、同じ(または、派生)研究室で上がってきた人が多いように見えます。
2つ目は、知らず知らずのうちに、そして、本人もそのつもりはなくとも、指導教官の先生のオリジナリティ観は、学生に刷り込まれてしまうことです。
私は、それほど指導教官の先生に(実験のラボ出身で理論家になるくらい)従順だったわけではないと思いますが、それでも刷り込まれてました。
このセクションを読んでいて、そんなの当たり前だよと思われた方も、第三者から見るとおかしなオリジナリティ観を刷り込まれている可能性は十分あると思います。
そして、海外機関で研究していると、違う分野でポスドクをすることを推奨されますし、研究のプロファイルが変わっていないということで落とされてしまう人を見かけることになります。
日本では、同じ分野の研究を続けることが一般的です。
この時点では、伏線を貼るにとどめますが、分野を変えることもオリジナリティとつながってきます。
オリジナルなアイデアとは
研究のどこに新しさを求めるか
どんなアイデアがオリジナルかということを考える上で、研究の構造をまず見てみるのがいいと思います。
研究の構造は、論文の構造と概ね一致します。
論文は、イントロダクション(Introduction)、研究方法(Methods)、結果(Results)、考察(Discussion)という順番で書かれます。
イントロダクションでは、何が分かっていて、何が分かっていないかということ(背景)を整理し、この論文では何を知りたくて(問題)、それを知るために何をするかということ(アプローチ)をまとめます。
研究方法、結果、考察は、そのまんまで、研究方法、結果、結果に対する考察をまとめます。
研究である以上、どこかが新しくなくてはなりません。
問題が新しいのか、問題は同じだけれどもアプローチが新しいのか、問題もアプローチも同じだけれども結果が違うのか。
アプローチは基本方針で、研究方法は具体的な方法なので、少し解像度が違うのですが、ここでは一緒にしてます。
読んでいてお気づきだと思いますが、新しいことが下流になるにつれて、可能な発想の範囲や選択肢が限定されていき、研究としても微妙になっていきます。
この判断基準でいうとという条件付きですが、新しい問題を見つけることがオリジナルな研究をする1つの具体的な方針になります。
オリジナルな研究の基準は時間とともに厳しくなる
19世紀の最後の年に、プランクが量子力学の扉を開いてからというものの、20世紀には量子力学が作られていきました。
20世紀初には電子の運動が研究対象でしたが、次第に原子核や素粒子に研究がシフトしていきます。
冷戦時代になると、核競争の激化から、原子核・素粒子物理学は物理学の最重要課題となってきます。
原子核・素粒子の実験は、だんだん大規模な装置が必要となり、実験で重要な問題がでるたびに皆がそれに飛びつくという状態になってきます。
生物の分野では、遺伝情報がDNAの塩基配列にコードされていることが分かり、塩基配列を読むことが重要な問題となってきます。
20世紀には、重要な問題が与えられており、みんながそれを解くという状況でした。
しかし、このような重要な問題は21世紀初頭までにあらかた解かれてしまい、21世紀は皆が重要な問題を見つけて開拓していく時代です。
つまり、20世紀には問題が同じでもアプローチが新しいことでオリジナリティが確保できたのに、今はそれはだめで、問題が新しくなくてはならないということです。
オリジナルな研究の条件は、時間とともに厳しくなっていくのです。
それ自体は、サイエンスが発展した結果ですので、喜ばしいことではあるんですけどね。
だからこのブログに書いた方法が有効だという話をしたいわけではありません。
むしろ、自分の時代に有効なオリジナルな研究に関するセンスを持ったとしても、次の世代にはもう役に立たなくなっている可能性が高いということを言いたいのです。
それは、このブログに書くこともしかりです。
オリジナリティが参入障壁であることは本質ですので今後も変わらないと思いますが、具体的にな方法や基準は時代とともに有効ではなくなってくるでしょう。
このブログに書くオリジナリティに関する私の考えは、時限的なものであるという注意です。
学生の読者の方にとっては、このブログに書くことはすでに昔話で、みなさんはもっと厳しい条件にさらされるでしょう。
今どこまで来ているのかということを知り、次の時代にはどのようにすればいいかということを考えるきっかけにしていただければと思います。
これは、本当に、学生指導の難しさの1つだと思います。
問題が新しいの上位互換はないのか
オリジナルな研究を目指すなら、新しい問題を発見することが重要だというところまできました。
しかし、21世紀も四半世紀すぎた今、新しい問題を作るだけではオリジナリティを確保するのが難しくなってきた感があります。
それもそのはず、研究者は年に何回も会議で同じ分野の研究者に会い、彼らの研究発表を聞きますし、論文を発表するペースも年々早くなってきています。
今では論文を発表する前にアーカイブサーバーにアップロードし、原稿をだれでも閲覧可能にする仕組みがあります。
つまり、情報共有がかなり円滑になった結果、分野の研究者が持っている知識や考え方がだいぶ共通化してきて、新しい問題を考えたとて、かぶってしまうのです。
じゃあどうするか。
実は、論文の構造の説明をした時に言っていなかったことがあります。
論文は、学術雑誌に投稿し、そこで出版されます。
標準的には、投稿する雑誌を決めてから論文を書くわけですが、Natureのような一般誌をのぞけば、雑誌にはターゲットとしている分野があります。
研究の新しさを分野に見出すこともできます。
論文の構造の話の背景が新しいに対応するとも言えます。
新しい分野を発見することは、新しい問題を発見することよりもさらにオリジナリティ(参入障壁)が高いです。
とはいえ、新しい分野を作るなんて、どうしたらできるでしょうか。
注目すべきは、現在のサイエンスではたくさんの分野がありますが、それらの分野ができたときには新しかったということです。
つまり、今のサイエンスを形作る分野がどのようにできてきたかということを知ることが重要なのです。
新しい分野を作るヒントは科学史にあるのです。
私が科学史を好きな理由はここにあります。
ここからは、科学史を見て私がどう考えるかということと、研究費申請では自分の研究のオリジナリティをどのようにアピールすべきか、指導教官などの刷り込みを解く方法、海外研究者が異なる分野を経験していることを重視する理由、暫定の結論として前に出した新しい問題を発見することはもう無力なのか、オリジナルな研究をするためにはどんな準備が必要かなどの伏線回収となるのですが、だいぶ書きましたので、一度ここで締めます。
次のアップデートくらいにこの話をしたいと思います。
