まじめな人とレイジーな人
サボる先輩と週報
私が岩本研究室で卒業研究をしていたころ、2つ上にとてもレイジー(怠惰)なO先輩がいました。
岩本研では週報制度があり、毎週その週にした研究をまとめて報告しなければなりませんでした。
学生時代には、月曜日から木曜日まで研究を行い、金曜日にまとめるというペースを作っていました。
そのO先輩は、週報に書くことがないと、前の週の週報に少し付け加えて出すということをしていました。
本人曰く、そうするとその週にあまり研究しなかったことが薄まるからバレないんだよねと。
当時、11人学生がいたので、先生も全員分の週報を読んでないか、読んでいても先週の内容なんて忘れているだろうと。
でも、私は、このアップデート方式はいいなと思ったんですよね。
今日の話は、週報を書くこと自体とアップデート方式で付け加えることの2点について話したいと思います。
文章でまとめると次の課題が見えてくる
私はO先輩のアップデート方式が優れていると思ったので、修士以降はその方式で週報を用意することにしました。
なぜ優れているかというと、週報は卒業研究1年の間、たくさん書くことになります。
バラバラに書いていると、卒業論文を書くころにはいつ何をしたか、いちいち覚えてませんし、見返すのに時間がかかります。
中には、後になって完全に間違えだと分かったことも含まれているでしょう。
研究室に入った当時は、週報は先生にやったことを報告するために書くものだと思っていました。
修士になって、週報を自分のために書くことに切り替え、どのように書いたら自分の研究に役立つかということを考えるようになりました。
前の週までに書いたことの後に付け加えるだけでなく、前の週までに書いたことも読み直して、まとめた後に新しいことを付け加えるという方式で週報を用意することにしました。
岩本研究室は実験の研究室で、理論研究をしていた学生は私一人でした。
ディスカッションする相手もいないので、行き詰ることも多々ありました。
文章にするというのは、実は結構頭を使うのだと思います。
週報を書いていると、頭が整理されて、次にやるべきことを思い浮かぶことは結構多いのです。
行き詰ったらまとめるが基本スタイルとなりました。
研究者の皆様も、論文を書いているときにやらなければならないことに気付くという経験をされた方もたくさんいらっしゃると思います。
週報というと、大変とか、どうせ読まないのに非効率とか、そんなことの代名詞ですが、自分の頭の整理のためにやるように工夫すると、意外と研究の障害を取り除くのに役立ってくれます。
今も、その分野の研究をまた後で続けたくなったとき、読めば何を考えていたか思い出せるように論文を書くことが多いです。
私にとっては、論文を書くことは、セーブポイントですね。
修士論文が勝手にできる
タイトルの通りですけれども、週報をアップデート方式にすると、修士論文を書くころには週報がすでにそれになっています。
ですので、実は修士論文をまともに書いた記憶がありません。
博士論文は英語で書いたので、そのままという訳にはいかなかったんですけどね。
サボることとアイデア
思い返してみると、週報をアップデート方式にするというアイデアは、レイジーなO先輩がサボるためにやったことでした。
私はそのアイデアを使わせてもらっただけです。
現在化学の研究所にいるからそう思っている可能性は無きにしも非ずですが、作業をすることに関して勤勉な人はたくさんいるのですが、頭を使うことに関してはレイジーな人は驚くほど多いです。
既存のアイデアで作業する時間を増やして乗り越えようとするんですね。
対して、レイジーな人というのは作業をしたくないので、頭を使うんですよね。
日本では作業を長時間するまじめな人が頑張っている人として評価されるのですが、レイジーな人は評価されず、笑われたりからかわれたり、時にはいじめられたりします。
既存のアイデアで長時間した作業なんてAIですぐできる今の時代では、まじめな人と、頭を使うレイジーな人、どっちが重要なんでしょうね。
そして、頭を使う人よりもまじめな人を評価する昭和脳の人たちは、本当に前が見えているのでしょうか。
