主体性のある人が成長する
前回、高校では部活で弓道をやっていて、結構部活が好きだった話をしました。
しかし、高校3年ともなると受験があったので、春にやめて受験に専念することにしました。
しかもそれは自分で決めたことではなく、父に強く言われてやめたものです。
受験が成功したからいいものの、もし失敗していたら大きく後悔していたと思います。
実は、受験が成功してもちょっぴり後悔しています。
そのせいか、高校部活もののアニメが好きな傾向があります。
父は自分の子供よりも経験があるから、自分の言っていることを聞いていればうまくいくと信じてやまない人でした。
子供は親に経済的に依存しているので、なかなか親の呪縛から解き放たれるのは難しいですね。
しかし、父親が活きた時代と子供が活きる時代は違うので、父親の経験が子供の時代に活かせるとは限らない、というか、往々にして通用しません。
父親の時代は、スペック競争で何とかなる(つまり、努力すれば報われるような)20世紀型の産業からクリエイティビティ―が必要となる21世紀型の産業への過渡期でした。
20世紀型の産業で逃げ切れた時代の人と同じことしてもうまくいくはずがありません。
実際、父は努力主義でしたが、今の時代、努力で何とかなるのは大学受験までです。
しかも、自分の判断が間違っていた場合、それから学んでただせばいいのですが、他人の判断が間違っていても学ぶことはほとんどありません。
若い時の失敗の方が取り返しがつきますので、父親が子供のことに口出しすることは、子供が成長する機会を奪っているのと同じです。
このような父親を持ったおかげで、人の成長に必要なのは主体性であることを学びました。
このことは親子のみに当てはまるでしょうか。
先ほどの話の父親を教授、子供を学生、子供のことを学生の研究に置き換えてください。
そう、教授が正しいと思っていることは、教授の時代では通用したかもしれないけれども、学生の時代には往々にして通用しないのです。
今の教授の世代は、20世紀型のサイエンスから21世紀型のサイエンスに変わる過渡期でしたが、日本の場合には20世紀型のサイエンスを続けてしまった教授もたくさんいます。
とくに化学を見ていると、それを自分の教授がやっていた教育を自分がやっていても問題がなかったと錯覚している人が結構いる感じがします。
もちろん、化学の中には21世紀型のサイエンスに切り替えられた人もたくさんいますし、たとえば分子生物学ではほとんどの人が21世紀型になっています。
まだ経験の浅い学生からみると区別をつけるのは難しいので、分野ガチャ、教授ガチャが激しいのが今の日本の大学の現状でしょう。
このような状況ですので、学生さんや若手の研究者の方々は、ちゃんと自分で考えて判断し、教授に言われたことはあくまでも参考程度にとどめ、基本は自分で自分の研究の方向性を探索していただければと思います。
教授にうまくいかないと言われてやめるのと、自分がやってみてうまくいかないことを知るのとは内容が違います。
しかし、実験に危険はつきものですので、実験家の人は安全面に関しては教授の言うことを聞きましょう。
死んでしまったり、人を殺してしまったり、後遺症がでるような事故を起こしてしまったら、それこそ取り返しがつきません。
また、人の言うことを全く聞くなと言っているわけではありません。
人から学ぶことはたくさんあります。
主体性をもって自分でそれを判断しましょうということですね。
私の時代のサイエンスを切り拓くのは私たち、みなさんの時代のサイエンスを切り拓くのはみなさんです。
そういえば、少し前に似た話をしましたね。
自分の時代でうまくいったことと同じことをすればいいという考えではなく、流れる時間の中で物事を捉え、未来に目を向けられる人は貴重です。
書き始めたときには、今日はちはやふるの話をしようと思っていたんだけれども、なんでこんな話になっちゃったんだろう。。。
こどもの日に親子の辛辣な話をしてしまいました。
