2026年ノーベル化学賞を支えた理論物理学者-Sir F. C. Frank
はじめに
2026年ノーベル化学賞とフランク
2026年のノーベル化学賞は、「不斉合成における非線形性と自己触媒」の研究を行った、Henri Kagan先生と硤合憲三先生に決まりました。
有機分子には、原子組成は同じであるが連結性(原子のつながれ方)や構造が異なる異性体というものがあります。
その中でも、連結性は同じでも、右手と左手のように鏡写しの関係にあるような構造にある異性体をキラル異性体、または、鏡像異性体と言います。

キラル異性体を持つ分子をキラル分子と言ったりします。
何も工夫をせずに有機合成を行うと、右手分子と左手分子が混ざったラセミ混合物ができます。
しかし、生物の体は片方のアミノ酸のみから構成されています。
片方の分子が優先的にできる基礎的なメカニズムを発見したのが受賞された2人です。
硤合先生は生成物自体が触媒となる反応でそのメカニズムを示したわけですが、理論は70年前にすでにありました。
それを作った人物がFrederick Charles Frank(F. C. Frank)です。
人物像
Frankは、おもに、イギリスのブリストル大学で活躍した理論物理学者です(1911-1998)。
1977年にナイトの称号まで持っています。
彼の人物像に関しては、Natureの追悼記事に概説されています[1]。
Frankについてご存じの方は少ないと思います。
私の学生の時の研究課題が、キラルと液晶の素養を必要とする課題だったので、Frankの仕事になんどか遭遇して、気になってはいました。
ピンと来ていない方も、この記事を読んで、「あ、Frankの自由エネルギーのFrankか」と気づく方もいらっしゃるかもしれません。
しかも、調べてみると、私の知っている仕事はぜんぜんメインではありませんでした。。。
また、私がF. C. Frankの仕事だと思っていたものの一部は別のFrankさんの仕事だったりもしました。。。
F. C. Frankの専門は、結晶成長と欠陥-つまり、結晶がどのようにできるかということと、それがどのように崩れるかということです[1,2]。
こちらの方はまだ私の方の調べが足りてないので、分かり次第アップデートしながら、彼が考えたことに迫っていきたいと考えています。
追悼記事で、一番有名とされている論文くらいは読もうかと思ったのですが、60ページもあったので諦めました・・・[3]。
研究のスタイル
Frankは物理学を”not just concerning the Nature of Things, but concerning the Interconnectedness of all the Nature of Things”と定義していたようです[1]。
おそらく、言わんとしていることは、アナロジーの重要さなのだと思います。
例えば、金属を冷やすとなぜ超電導になるかということを明らかにした物理理論があります。
これは固体物理学という分野の理論ですが、素粒子になんで質量があるかという疑問に答えるために非常に役に立ちました。
そのため、固体や素粒子それぞれの本質を明らかにするだけでなく、一層上の立場から、両方に共通する原理を明らかにする、それが物理学だというのです。
彼が活躍した1950年代の物理学というと、原子核・素粒子物理学の全盛期でした。
量子力学が完成し、それを基礎として物質の究極構造や相互作用を明らかにすることによって、要素還元的に万物の一般原理が分かることが期待されていた時代です。
Frankの研究は、今でこそ重要だと考えられてますが、当時としてはマイナーな分野だったのでしょう。
サイエンスの中で何が重要かということは、その時代の科学者の考えに流されがちなんですよね。
彼のキラル優勢に関するアイデアは1953年に発表化され、1990年代に硤合先生に実現され、ノーベル賞が出たのはFrankがとっくに亡くなった2026年です。
しかし、一般原理への扉を開く分野は、流行りの分野とは限りません。
また、ずっと同じ分野を研究している専門家が常に正しいということでもありません。
今回のノーベル賞に関連するキラルの問題も、液晶の分野で中心的な役割を果たすFrankの自由エネルギーも、Frankにとっては、ちょっとやってみただけでしょう。
結晶成長と欠陥の観点で他の分野を見てみると、意外と新しい発見があったということだと思います。
それこそ、いろいろな研究対象の”interconnectedness”ですね。
追悼記事によると、Frankは、そのトピックに関するseminal paperを書いてから新しい研究をするスタイルだということが書かれていました[1]。
おそらく、その研究分野の本質をつかむ能力が強かったのでしょう。
自己触媒作用による不斉合成
折角なので、2026年のノーベル賞になった自己触媒による不斉合成の研究の理論の紹介から始めたいと思います[4]。
この論文はわずか5ページで、言いたいことは最初のページでほとんど語られているので、もしご興味があれば読んでみてください。
実験室で合成すると、右手分子と左手分子が同じだけできるラセミ混合物ができるのに、生体ではなぜ片方の分子のアミノ酸しか含まないのかというのが答えたい疑問です。
それに対するFrankのアイデアはつぎのようなものです。
右手分子が、この分子の合成の触媒として働き、なおかつ、左手分子の合成を阻害する場合を考えましょう。
逆に、左手分子は、この分子の合成の触媒として働き、なおかつ、右手分子の合成を阻害します。
右手分子も左手分子も、自分に対する作用と相手に対する作用が対称であり、フェアな問題設定です。
化学反応式で書くと、
となります。
ここで、とは、右手分子と左手分子の濃度です。は自己触媒作用による反応速度定数で、は相手の分子の生成を遅くする速度です。
分子生物学では、右手分子と左手分子を、L体とD体と呼ぶので、添え字をLとDにしています。
ただし、L体とD体は光で区別するのですが、右手と左手は明確に定義してないので、右手と左手が違うことと、作用が対称であることは気にしていますが、どちらが右手でどちらが左手かということはあまり気に資せずに説明してます。
この二つの式で、同時にとを入れ替えても式が変わらないことに注目してください。
これが、ここでいう作用が対称であることの数学的な表現です。
実験室で合成を行うと、L体とD体が同じくらいできるのですが、それは、多くの分子が化学反応した結果の平均です。
瞬間的には、L体の数の方がD体の数の方が多くなる(または、その逆になる)こともあるでしょう。
このたまたまおきる平均からのずれをゆらぎと言います。
Frankが考案したメカニズムでは、ある瞬間にたまたま多くできたL体は、L体の合成を加速し、逆にD体の合成を減速します。
その結果、L体が合成される速度がどんどん大きくなり、D体が合成される速度がどんどん小さくなるということが起こります。
逆に、最初のゆらぎがでD体がたまたま多く合成されれば、D体が合成される速度がどんどん大きくなり、L体が合成される速度がどんどん小さくなります。
つまり、生物で片方のアミノ酸しかない理由は、自己触媒作用によるゆらぎの増幅にあるというのです。
このように、式は対象であるのに、解が非対称になる現象を自発的対称性の破れと言います。
液晶の変形とエネルギー
液晶とは?
フランクは、液晶に関しても重要な研究をしています。
液晶は、固体や液体と同様に、物質の状態のことです。
温度と圧力を変えると、物質は、気体、液体、固体に状態変化すると、高校の化学で習うと思います。
大まかにいえば、それで充分です。
しかし、棒状の分子や円盤状の分子は、温度を冷やしていくと、液体と固体の間に新しい状態をとることがあります。
その中間状態が液晶です。
棒状や円盤状の分子は、分子の向き(配向)を定義することができます。
液体では、分子の位置も向きも熱運動によって、バラバラになっています。
一方、固体では、分子の位置も向きもそろっています。
液晶は、実はいろいろな状態の総称なのですが、一番基本的なのはネマティック相(N相)というものです。
ネマティック相では、分子の位置は熱運動によってバラバラですが、向きはなんとなく一方向にそろっています。
分子の平均の向きは、ベクトルで表すことができます。
このベクトルをダイレクタと言います。
しばしば、ネマチック相の液晶をネマチック液晶と言ったり、液晶相を持つ分子を液晶分子と言ったりします。
液晶では、分子の向きがそろっているので、液晶を通る光の屈折率もダイレクタ方向とその垂直な方向で異なります。
液晶ディスプレイでは、電場によってダイレクタを操作し、素子を通る光の透過性を制御することによってディプレイ機能を実現しています。
界面による配向制御と配向ひずみ
境界の無い無限に大きい液晶を考えると、すべての位置でダイレクタが一様である状態が熱力学的に安定となります。
しかし、実際には、有限の領域に液晶を封入することになるので、境界(他の材料との界面)の効果が無視できなくなります。
液晶ディスプレイでは、むしろ、その性質を積極的に利用しています。
界面の液晶を特定の向きに並べる手法は多岐にわたります。
おそらく、一番知られているのは、ラビングという手法で、界面を布でこすると、液晶は界面に沿って一方向に並びます。
片方の界面では一方向にダイレクタを並べ、もう片方の界面ではそれと90度ずれた方向に並べるとしましょう。
すると、ダイレクタが一様に一つの方向に向くことができなくなりますので、境界では指定された方向に向き、その間の液晶のダイレクタは空間的に変化することになります。
ダイレクタの空間的な変化を配向ひずみと言います。
ダイレクタが空間的に一様である状態が熱力学的に一番安定なひずみのない状態と考え、それからのずれが配向ひずみです。
フランクの自由エネルギー
フランクは、配向ひずみによって液晶に蓄えられるエネルギーを導きました。
統計熱力学では、系の安定な状態はエネルギーとエントロピーという2つの量によって決まると考えます。
その二つを組み合わせた量を自由エネルギーと言います。
熱力学的な安定性を定量化するために、エネルギーの概念をカスタマイズしたものだと考えていただければ結構です。
自由エネルギーが大きくなるということは、系は不安定になるということで、逆に、自由エネルギーが小さくなると、系は安定になります。
フランクは、ネマティック液晶の持っている対称性に注目しました。
ダイレクタがそろっているネマティック液晶では、ダイレクタの周りに系を回転させても状態は変わりません。
また、ダイレクタの方向を向いている分子と、それと逆方向を向いている分子を入れ替えても状態が変わりません。
この二つの操作を行っても自由エネルギーが変化しないという条件を使って、液晶の自由エネルギー(密度)を導くことができます。
式で書くと、
となります。
これをフランクの自由エネルギーと言います。
(ナブラ)とは、空間変化を表していて、”“とか”“はその変化のタイプだと思っていただければ結構です。
その結果、液晶の配向ひずみには、3つの変形モードがあることが分かりました。
スプレー()、ツイスト()、ベント()です。

それぞれ、フランクの自由エネルギーの第一項、第二項、第三項に対応しています。
これを使うと、境界条件を与えた時に、液晶がどのような空間分布をとるかということを理論的に予言することができます。
液晶とキラル分子
実は、液晶はキラル分子とも関連が深いです。
今回は、ネマティック相以外の液晶の説明はしませんでしたが、キラル分子ならではの液晶状態が存在します。
特に、長らくの間、強誘電性を持つ液晶は、キラル分子である必要があると考えられてきました。
しかし、この話はフランクとずれますので、またいずれ他の機会にでもお話ししたいと思います。
参考文献
1.J. E. Enderby, “Sir Frederick Charles Frank (1911-98)”, Nature, 393: 314 (1998). doi: https://doi.org/10.1038/30622
2.F. R. N. Nabarro and J. F. Nye, “Sir (Frederick) Charles Frank, O.B.E. 6 March 1911 — 5 April 1998”, Biogr. Mems Fell. R. Soc. 46: 177–196 (2000). doi: https://doi.org/10.1098/rsbm.1999.0079
3. W. K. Burton, N. Cabrera, and F. C. Frank, “The growth of crystals and the equilibrium structure of their surfaces”, Phil. Trans. R. Soc. A, 243: 299-358 (1951). doi: https://doi.org/10.1098/rsta.1951.0006
4.F. C. Frank, “On asymmetric synthesis”, Biochim. Biophys. Acta, 11: 459-463 (1953). doi: https://doi.org/10.1016/0006-3002(53)90082-1
