健全な分野では実験と理論が等しく重要

tetsu

計算化学と有機化学の関係

私の研究所には、有機化学者と計算化学者が多く在籍しています。

化学反応や合成した分子の電子的・光学的な性質を量子力学を使って理解する分野を量子化学といいます。

量子化学は理論体系なのですが、計算化学はその計算のためのアルゴリズムやソフトウェアを作る分野です。

量子化学計算には、多くの場合、密度汎関数法(Density Functional Theory、または、DFT)を使います。

その主張は、量子力学においては、電子の密度が決まれば系が決まるので、エネルギーが電子密度の汎関数で書けるというもので、Hohenberg(ホーヘンバーグ)とKohn(コーン)によって示されました[1]。

関数は値を入力すると出力値が返ってくるものですが、汎関数とは関数を入力すると出力値が返ってくるというものです。

DFTの場合、電子密度の関数を入力すると、エネルギーの値が出力されるようなものができるということです。

汎関数が与えられた場合の具体的な計算方法は、Kohn(コーン)とSham(シャム)によって示されました[2]。

この理論は、金属中の電荷が電子によって遮蔽されることを予言するThomas-Fermi(トーマスーフェルミ)理論の拡張となっています。

え、金属?化学反応と違くない?と思われた方もいらっしゃるかと思います。

DFTは金属の理論の拡張で生まれましたが、本質的には多数の電子を扱う理論なので、化学反応にも応用できたわけです。

計算化学の人は、DFTを第一原理計算といいます。

この方法で化学反応や分子の電子的性質の解析を扱うためには、エネルギー汎関数を仮定してやる必要がありますが、選び方は実験と合うように選ぶので、物理の人は現象論と考える人が多いと思います。

ちなみに、物理では、多数の電子を扱う方法として、量子統計力学という分野があります。

DFTで使う汎関数の中には、量子統計力学の裏付けがなされているものもあります。

そのようなものは、安心して使えますね。

DFTの話が長くなってしまいましたが、量子化学や計算化学は、基礎である量子力学や多体電子論はできている前提で、それを化学反応や分子に適用する分野です。

汎関数の選び方も実験依存ですし、だいぶ実験と密接に関わっている分野と言えると思います。

有機化学者と計算化学者が共存している我々の研究所は、彼らにとって、ある意味で理想的なのかもしれません。

私はこれまでないコンビネーションで共同研究するからこそ、他ではできない新しいオリジナルな研究ができると考えます。

しかし、これまでにないコンビネーションで融合研究をするような提案を出したとしても、挑戦的過ぎて、大きな研究研究費がもらえることは期待できません。

有機化学×計算化学×AIが現実的な落としどころだったのでしょうね。

実験と理論は等しく価値があるか、等しく価値がない

とはいえ、有機化学者と計算化学者がみんな楽しく一緒に研究しているかと言われると、Yes and Noです。

私が研究所でときどき話をする同じ年くらいの計算化学者がいるのですが、彼は、有機化学を飽和していてもう新しい発見はない分野だとよく批判しています。

どういう訳か、私の研究所では、有機化学と計算化学を異分野と考えるのですが、私からみると、実験か計算かというアプローチが違うだけで、知りたいことは同じです。

もし、実験先行の分野で、このプロジェクトで世界で初めてその理論を作るような状況でしたら、例え実験は飽和していても理論をやる余地がかなりあるでしょう。

しかし、70年も歴史のある分野で、実験が飽和しているのに対応する計算が底が見えてないという状況は、その問題が現在のサイエンスでは太刀打ちできないくらい難しいか、計算側に優秀な人材がいないかのどちらかでしょう。

実験をしてもしょうがない分野は、往々にして計算してもしょうがなかったりします。

近い現象として、電子工学などの分野で理論研究をすると、実験の方々があまり理論を評価しなかったりします。

なぜかというと、その基礎となっている電磁気学と量子力学を実験家の方々がもう習得済みであり、わざわざ理論を作らなくても実験の解釈も設計もできるからです。

しかし、今は研究者人材過多のため、基礎がすでに確立されている場合、本質的に同じアイデアを全く独立に思いつく確率は非常に高く、すでに研究されているか、現在進行形で他のグループが研究していると見るべきでしょう。

理論を作ってもしょうがない分野は、往々にして実験をしてもしょうがなかったりします。

私の研究所では、メカノケミカル反応など、従来の有機化学のアタリマエを見直すような実験もされています。

メカノケミカル反応は量子化学などの従来の化学理論だけでは理解できそうもないので、このような分野に飛び込んでみればいいのにと思います。

そうおもって、私のメカノケミストリー理論のチームに入ってもらっているのですが、学生の頃から今までずっと量子化学計算をやってきた彼は、その外側に行きたくないようです。

私だったら、研究のオリジナリティーや新規性の足しにならないものは捨てちゃいますけどね。

メカノケミカル反応の実験をされている共同研究者の先生方が私の理論についてどのように思っているか、その本音はわかりません。

とはいえ、今のサイエンスで抜けていることを明らかにするための分野であれば、理論も実験も等しく価値があるのではないかと思っています。

実験を設計するにも、測定技術を開発するにも、そのもととなる考え方が必要なので、ある程度の理論が必要です。

実験はしばしば、理論だけでは思いつかない重要な示唆を与えてくれますし、実際の自然現象についての情報を与えてくれます。

私は、これまで遺伝子発現制御に関して共同研究をしてくださった実験家の先生方には、いつも感謝しています。

参考文献

1.P. Hohenberg & W. Kohn, “Inhomogeneous Electron Gas”, Phys. Rev., 136: B864 (1964). doi: https://doi.org/10.1103/PhysRev.136.B864

2.W. Kohn & L. J. Sham, “Self-Consistent Equations Including Exchange and Correlation Effects”, Phys. Rev., 140: A1133 (1965). doi: https://doi.org/10.1103/PhysRev.140.A1133

3.L. H. Thomas, “The calculation of atomic fields”, Mathematical Proceedings of the Cambridge Philosophical Society, 23: 542-548 (1927). doi: https://doi.org/10.1017/S0305004100011683

ABOUT ME
山本哲也
山本哲也
キンメダイ美術館のサイエンティスト
電子工学で学位を取得後、理論物理学者になるため、ドイツ、イスラエル、中国で修行。現在は、習得した理論物理学を使って遺伝子発現制御のメカニズムを明らかにする研究をしています。研究だけでなく、趣味やいろいろ考えていることなどお話ししたいと思います。
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