研究の面白さって何だろう?
はじめに
通常、研究者になる人が夏休みの自由研究を除いて初めて研究に触れるのは、大学の卒業研究です。
研究室に所属して、多くの場合、研究室のスタッフが考えたプロジェクトに取り組みます。
卒業研究の内容とそれまでの講義内容にはギャップが大きいことも多々あるので、最初は何が面白いのかよくわからないことも多々あると思います。
研究の面白さを見つけることも実力の内だと言われたこともあります。
卒業研究では、多くの時間を実験や解析に費やすわけですが、手を動かすこと自体に面白さを感じる人もいます。
実験家の方は、その傾向が大きく、ずっと実験をしていたいと思う人が多いそうです。
最近、同じ研究所の先生と話していて、「最近は、人を使っているだけで自分で実験していない」ということをやや冗談気味におっしゃっていました。
その先生は、研究室のリーダーであるPI(Principal Investigator)です。
PIは、研究プロジェクトを考えたり、そのための資金を調達することが仕事ですので、自分で実験をすることが仕事というわけではありません。
化学の人たちは、自分で手を動かすことにやりがいを感じる人が多いようで、計算化学の人もジョブを投げるだけなのに自分でやりたがります。
もちろん、面白さややりがいは主観的なもので、人によってそれぞれです。
研究を構成する要素を分析しつつ、私がなぜ研究を面白いと思っているかということもお話ししたいと思います。
分析とはいっても、私の経験と照らし合わせたものになることはご了承ください。
読者のみなさまのご意見もぜひぜひ教えていただきたいです。
研究の面白さを分析する
研究のサイクル
研究の面白さを分析するために、研究のサイクルを見ることから始めましょう。
まず、科学研究は、物理学、化学、生物学、地球惑星科学といった分野に属する問題を扱うことが多いです。
中には、工学や産業応用から生じる問題もあります。
問題という言葉を使っていますが、自然現象に対する疑問(question)とも言い換えることができます。
英語圏では、questionの方がよく使うかもしれません。
つまり、①問題を発見することが研究の最初のステップとなります。
その問題は、既知の問題であることもありますし、既存分野の新しい問題であることもあるでしょう。
現状ではどの分野にも属さない、新しい分野を切り開くきっかけとなるほどの新しい問題かもしれません。
科学研究とは、その問題に対する一番シンプルな答えを見つける活動です。
その答えを見つけるために何をするかという戦略、つまり、②アプローチを決めます。
アプローチは実験手法、解析手法、計算手法を組み合わせて作られます。
これらの手法は、既存のものを組み合わせる場合もありますし、新しいものを作る場合もあります。
一般的に、研究を実施し、発表するためには資金が必要です。
研究資金を得るために、③政府の研究費配分機関や民間の基金に研究計画書・申請書を書きます。
研究資金が得られましたら研究ができますので、決定したアプローチに従って、あるいは、改良しながら④実験や計算など、疑問に答えるための活動(作業)を行います。
自分で作業する場合もありますが、⑤学生やポスドクを指導して行うこともあります。
学生であっても、大学院生であれば、後輩の研究を指導することもあります。
結果が得られましたら、その内容を⑥論文、あるいは、研究会・学会の会合で発表します。
産業的に価値のある研究でしたら、特許を書く場合もあります。
その発表や論文が他の研究者に知られることにより、研究が評価されることがあります。
研究成果がたまってくると、それらをより広く知ってもらうため、レビュー論文や本を書くこともあります。
見落とされがちなこととして、研究者は、特定のプロジェクトに関わらず、論文を読んだり、本を読んだり、様々なことを観察したり、考えたり、人と話して見分を広げるなどの活動を普段から行っています。
このような、⑦新しい研究や問題を解くためのヒントを得るための基礎力強化も研究の要素のうちですね。
まとめると、
①問題を決める、あるいは、発見する
②アプローチを決める
③政府の研究費配分機関や民間の基金に研究計画書・申請書を書く
④実験や計算などの作業を行う
⑤学生やポスドクを指導する
⑥論文、研究会・学会の会合、本などで研究を発表する
⑦新しい研究や問題を解くためのヒントを得るための基礎力強化
です。
みなさまはどの過程が一番好きでしょうか。
研究の面白さを見つけることは実力のうちか?
現在は、1人の研究者が上記の①~⑥のすべての過程を行うこともありますが、研究者の立場に応じてその中のいくつかを担当することも多いです。
プロジェクトによっては、④が膨大になり、その中の一部を担当するだけでもだいぶ時間を必要とすることもあります。
実験や計算など、手を動かすことに面白さを見出す人もたくさんいます。
私も、学生の時には計算が好きでした。
しかし、それは作業が好きということで、研究が好きとは別種の話である気もします。
卒業研究の段階では、研究課題を見つけることはまれで、教員が設定した課題を実施することが多いため、まずそれを理解することに努めることになります。
研究の面白さを見つけることも実力のうちと言われることもあります。
どんな研究でも面白さがあるはずだから、それに気づくことは能力だということですね。
しかし、本当にそうでしょうか。
また、私は電子工学の学科の学生でしたが、水面上単分子膜という電子工学ではあまり類を見ない研究をしていました。
水面上単分子膜は、空気と水の界面に形成される、1分子の厚さを持つ膜のことです。
私は脂質という細胞膜を構成する分子の単分子膜で形成される構造を、誘電物理学と液晶物理学を基礎として明らかにする研究をしていました。
脂質はキラリティーという特殊な性質を持つ分子です。
水面上単分子膜とキラリティーは、私の波長と合っていたのか、修士課程の2年から博士課程の間には、様々なアイデアを想起し、成果を上げることができました。
私はこの研究課題が大好きでしたし、その意味で研究の面白さを見つけることはできたと思います。
計算が好きという状態から、アイデアを思いつくのが好きという状態にレベルアップしたわけです。
しかし、今となっては、当時行った単分子膜の研究を面白いとは思っていません。
それは、誘電物理学が適用できると誰もが分かっている問題に、誘電物理学を適用することは誰でもできるし、誰がやっても本質的には同じ結果になることが分かっているからだと思います。
誰がやっても・・・というのは少し誇張ですが、十分多くの人ができることなのです。
私でなくてもできることは、私がやる必要はないですよね。
知らないことを知ることは楽しく、面白いことです。
特に、世界で他の誰も知らないことを知ること、新しいものを生み出すこと、他の人ができないことをすること、はこの上ない喜びということですね。
視野が広くなるにつれて、そして、研究の新規性やオリジナリティに対する考え方が深くなるにつれて、面白さの基準が変わっていきます。
研究の新規性・オリジナリティの上限は、研究課題を決めた時に既に決まってしまいます。
もっと言えば、研究の新規性・オリジナリティの上限は、分野を決めた時点ですでに決まってしまいます。
自分で研究課題を設定するステージになると、与えられた問題の面白さを見つけることではなく、新規性・オリジナリティに優れた研究課題や研究分野を作ることが研究に必要な実力となってきます。
与えられた研究の面白さを見つけることは、卒業研究のような、誰かに設定された研究分野と課題を実施しなくてはならない場合に限ります。
むしろ、(与えられた)研究の面白さを見つける能力は実力のうち、というのは、面白さに関わらず、教員が設定した研究課題を学生にやらせるための体の良い方便でしかありません。
私に限らず、多くの人は
1.研究の内容がまだよくわからないので面白さが分からない → 2.面白さがわかってくる → 3.面白い研究とそうでない研究の区別がつくようになる
というステップを踏むのではないでしょうか。
研究は発表するから面白いのか?
私は学生の時には、英語を書くのが好きだったので、論文を書くのも好きでした。
英語には元から自信があったのですが、それとは比較にならないほど海外で研究をしている間にレベルアップしたと思います。
英語は文法や語彙力よりは、語彙の理解の深さと論文や文章の設計の仕方はなかなか日本では学べません。
論文を書くこと自体が、研究対象なのですね。
10年くらい前までは、論文を書くのが大好きで、良い論文を書くためにはどうしたらいいかという持論があった気がします。
しかし、今となっては論文を書くことはそれほど好きではありません。
ただ、ここは人によると思います。
論文は学術雑誌で発表するわけですが、学術雑誌には「ランク」があります。
雑誌の「ランク」は、研究者がなんとなく感じているランクだったり、インパクトファクターという数値化された指標だったりします。
たとえば、同じ分野の専門家を対象とする専門誌よりも、どの分野の科学者も読む総合誌の方が「ランク」が上だと考えられることが多いと思います。
上位「ランク」の雑誌に論文を掲載することは困難です。
上位「ランク」の雑誌は、話題性が強く、お堅い研究を掲載する傾向にあります。
話題性の強いことだけで1つのサイエンスができるわけでもないですし、ランクだけにこだわっていると挑戦的な研究ができなくなるという意味で、この傾向に批判はあります。
そこも考え方次第ですが、現状、上位「ランク」の雑誌に論文を掲載した人が評価される傾向にあります。
私の研究所では、それが給料にも反映されます。
そのため、多くの研究者は、上位「ランク」の雑誌に論文を掲載することを目標としています。
それを面白いと感じている人も、ストレスに感じている人もいると思いますが。
私が論文を書くことを面白いと思わなくなったのは、論文にはすでに見つけた結果、つまり、過去を書くからです。
逆に、研究費の申請書には、これから研究する未来を書きます。
少なくとも私は、もうすでにやったことの報告よりも、来年何やろうかなと、これまで想起してきた様々なアイデアを、文章を書きながら具体化する方が面白く感じます。
しかし、これも人によりけりで、研究費をとってくる重圧にさいなまれている人にとってはストレスだと思います。
私の前のボスは、研究会や学会の会合、サイエンスカフェで自分の研究について話すことが好きでした。
彼は人に、わかりやすく伝えることが得意だったので、納得です。
研究会・学会の会合で発表を通して人に自分の研究を伝えることは重要なことです。
しかし、そこで得たフィードバックをもとに新しい研究を発想したとしても、似通った研究にしかならないので、好きかと言われると、正直、そうでもないです。
私は理論家なので、これまで自分にも他にもない発想をインスパイアしてくれる実験の発表を聞き、その実験家と共同研究をする方が好きです。
評価される研究は面白い研究か?
研究を論文や学会の会合などで発表すると、それが目に留まり、評価の対象となることがあります。
今では、研究員を毎年評価する研究所も多いと思います。
私も、学生のころから、自己満足ではダメだ、人に評価される研究をしなくてはダメだと言われ続けてきました。
それでは、評価される研究は、面白い研究でしょうか。
この質問はひどくナイーブで、審査員が面白さを基準として評価するかという質問にも取れますし、研究者は自分の研究が評価されるとそれを面白いと感じるかという質問にも取れます。
前者の答えは、分野や学会、研究所の雰囲気によるので何とも言えないというのが正直なところです。
後者も人によりますね。
とはいえ、体感で言うと、人に評価されたいと考える研究者の方が圧倒的多数でしょう。
人に評価されなければダメだと言われ続けてきたのは、そのようなタイプの人が近くにいたことと、人数として多いことによると思います。
私も、評価されればうれしいはうれしいです。
しかし、評価されることを目標として、審査員になる年代の研究者に評価されるような研究課題を選ぶようになると、それは違うかなとも思います。
自分のサイエンスではなく、他人のサイエンスになってしまいます。
また、マーケティングで見つけてきた研究課題は、想定内のことで終わることが多いので、私の中の面白さとはずれてくるためです。
音楽でも、自分の音楽を追及するだけではだめで、一般向けの音楽を作らなければ売れないので、生きていけないでしょうと言われると、そうなのかもしれません。
一方、注目されている研究は、自分でなくてもできますし、AIにでも任せておけばよいのではないかと思わないでもないです。
学生や研究員が何人もいるような大きいグループを持ち、自分のやりたい研究と一般向けの研究の両方をするのが現代の生き残り戦略なのかもしれません。
前にも言いましたが、視野が広くなるにつれて、そして、研究の新規性やオリジナリティに対する考え方が深くなるにつれて、面白さの基準が変わっていきますので、自分のやりたい研究も質的に変わってきます。
大きなグループを持つために評価される研究をこなしながら、新規性やオリジナリティを深めることがどれくらい可能なのかということは、私は答えを持っていません。
今の私は研究のどこに面白さを感じるか?
オリジナリティの話でも言いましたが、研究の上流に行くにつれて参入障壁が高くなります。
今のところ、一番参入障壁が高いのは、新しい分野を作ることだと思っています。
今では、物理の人たちが物理の問題だと思わないことを物理の視点で見て、初めての理論を作ることが好きです。
そのため、分子生物学系の学会、研究会、領域会議などに足を運び、実験の人の話を聞いて、新しい物理を考えることが好きです。
過去の自分や他の人が思いつかないようなアイデアを思いついたとき、非常に快感を覚えます。
その快感のために研究をしている感があります。
新しいことをし続けるためには、自分が成長し続けなくてはなりません。
人生の選択をするときには、その選択が新しい研究につながるか、自分が成長できるかということを基準とする傾向にあります。
